ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

なにもしない

 花火の打ち上がる20分間を待って、地べたに2時間、ぼうっと座っていました。マニキュアを乾かす数分間には耐えられないのに、なぜか平気でなにもせずにいました。狭い部屋でなかったおかげというのもありそうです。だから、ビーチでマニキュアを塗ったら、乾くまで待てるかもしれない。

 対岸の椰子の木を眺めたり、足の小指だけを動かそうとしたり、現在時刻を当てる遊びをしたり、絶えずなにかしらはしていながら、やはりそれは、なにもしない時間でした。消費とか通信とか競争とかいった一切から離れて、日が沈むまでただそこにいました。急いだり、決断をしたりしなくてもよいのが嬉しかったです。足りないものは、なにひとつない気がしました。潮風で髪をべたべたにして、ざらついたコンクリートの階段に腰かけているだけの夕暮れは、東西線のホームを無心に抜けて行く平日の朝と同じくらい、なくてはならないのです。

 なんの成果も痕跡も残さない、なんにもならない透明な時間のほうを、いつだって強く覚えています。それで花火の写真は撮りません。景色はひとりかふたりじめするための生ものです。